ウィズ・コロナも3年目となった2022年の下半期には、神奈川県内でいくつもの注目すべきコンサートやオペラ、音楽祭が開催されました。そのなかから「節目」や「始まり」を感じさせたイベントをピックアップしてご紹介します。
文 : 八木宏之 (音楽評論)
2022年の神奈川県のクラシック音楽シーンは「節目」や「始まり」の多い一年でした。県民ホールは、2025年の開館50周年に向けて記念オペラシリーズをスタート。その第1弾として、ミニマル・ミュージックの代表的作曲家であるフィリップ・グラスと、数々の前衛的舞台作品で知られる演出家ロバート・ウィルソンによるオペラ『浜辺のアインシュタイン』が上演され、大きな話題となりました。『浜辺のアインシュタイン』が日本で上演されるのは1992年の日本初演以来2度目。10月8日の上演初日の休憩中には、神奈川芸術文化財団の芸術総監督で戦後を代表する作曲家・一柳慧の逝去の報が入り、この日は日本のコンテンポラリー・ミュージックにとって忘れられない1日となりました。
音楽堂では、ヘンデルのオペラ『シッラ』の全3幕 日本初演が行われました。ファビオ・ビオンディ率いるイタリアの古楽団体エウローパ・ガランテを招いて行われたこのプロダクションは、元々は2020年2月に上演が予定されていましたが、コロナ禍によって中止となり、ようやく2年半越しで日の目を見ました。カウンターテナーとしても活躍する演出家の彌勒忠史による歌舞伎とバロック・オペラの融合は注目を集め、古楽のマニアだけでなく、多くの音楽ファンが詰めかけました。
神奈川県を代表するオーケストラ、神奈川フィルハーモニー管弦楽団は、2022年4月に沼尻竜典を音楽監督に迎え、新体制をスタートさせました。8年にわたって常任指揮者を務めた川瀬賢太郎からバトンを引き継ぐ沼尻は、幅広いレパートリーと豊富な経験を誇るマエストロです。県民ホールでのショスタコーヴィチの交響曲第8番の鬼気迫る演奏は、このコンビの相性の良さを強く印象づけました。本拠地、横浜みなとみらいホールを中心に、神奈川県各地でこれからたくさんの名演を聴かせてくれるでしょう。シンフォニックなレパートリーだけでなく、沼尻の得意とするオペラでの共演にも期待が高まります。
神奈川県を拠点に活動するプロ・オーケストラは神奈川フィルだけではありません。ミューザ川崎シンフォニーホールを本拠地にする東京交響楽団も、名前こそ「東京」交響楽団ですが、神奈川の音楽シーンに欠かすことのできないオーケストラといえるでしょう。そんな東響が音楽監督のジョナサン・ノットとR.シュトラウスのコンサート・オペラシリーズをスタートし、その初回となる『サロメ』が11月にミューザ川崎シンフォニーホールで演奏されました。東響とタイトルロールのアスミク・グリゴリアンをはじめとする豪華歌手陣が、ノットのタクトのもと、R.シュトラウスの複雑なスコアを色鮮やかに浮かび上がらせました。
神奈川県西部でも新たな動きがありました。若手音楽家が中心となりスタートした新しい音楽祭「箱根おんがくの森」には、神奈川県内だけでなく東京からも多くの音楽ファンが集まり、箱根の自然のなかで、バロックからコンテンポラリーまでバラエティー豊かなプログラムを楽しみました。野外劇場での公演には親子連れの姿も見られ、神奈川の夏休みの新しい楽しみが一つ増えました。
神奈川県民ホール開館50周年記念オペラシリーズVol.1
ロバート・ウィルソン/フィリップ・グラス『浜辺のアインシュタイン』
音楽と言葉と身体表現の交錯がオペラの概念をも覆す『浜辺のアインシュタイン』。指揮者のキハラ良尚は約4時間に及ぶ長大な作品を、最後まで緊張を途切れさせることなく見事にコントロールし、ヴァイオリニストの辻彩奈も果てしない「反復」を強い説得力をもって奏でました。演出、振付の平原慎太郎は、透明のビニールを効果的に用いて「3.11」を連想させるイメージを作品に重ね合わせ、2022年に『浜辺のアインシュタイン』を再演する意味を示しました。
会場 | 神奈川県民ホール
日程 | 2022年10月8日~9日
主催 | 神奈川県民ホール
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音楽堂室内オペラ・プロジェクト第5弾
『シッラ』全3幕 日本初演
ローマの暴君シッラの改心を描くこのオペラは、台本の説得力が乏しく、なかなか上演の機会に恵まれませんが、彌勒忠史による歌舞伎やサーカスの要素を取り入れたダイナミックな演出が、300年以上前につくられたオペラに新たな命を吹き込みました。ビオンディはエウローパ・ガランテと世界トップクラスの歌手たちから、火花を散らすような鮮烈な音楽を引き出し、ヘンデルのオペラを観る喜びを教えてくれました。
会場 | 神奈川県立音楽堂
日程 | 2022年10月29日~30日
主催 | 神奈川県立音楽堂
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横浜みなとみらいホールリニューアル記念事業
沼尻竜典指揮神奈川フィルハーモニー管弦楽団
横浜みなとみらいホールは1年10ヶ月の改修工事を経て、2022年10月にリニューアルオープンしました。リニューアル式典直前にスプリンクラー事故が発生するなど困難に見舞われましたが、10月29日に予定通りリニューアルコンサートを開催。沼尻竜典指揮神奈川フィルハーモニー管弦楽団が、三善晃とR.シュトラウスの山にちなんだ大曲を、生まれ変わったホールいっぱいに響かせました。オーバーホールを経て再び命を宿したパイプオルガン「ルーシー」も、R.シュトラウスの《アルプス交響曲》で輝かしい音色を聴かせてくれました(オルガンの演奏は2022年4月から第2代ホールオルガニストを務める近藤岳が担当)。
会場 | 横浜みなとみらいホール
日程 | 2022年10月29日
主催 | 横浜みなとみらいホール
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ジョナサン・ノット指揮 東京交響楽団
R.シュトラウス歌劇『サロメ』全1幕
R.シュトラウスのオペラはオーケストラにとっても、歌手にとっても大変な難曲。世界的なサロメ歌いとして知られるグリゴリアンの圧巻のパフォーマンスとともに、ノットと東京交響楽団の緻密な演奏にも熱狂的な拍手が送られました。2014年から信頼関係を築いてきたこのコンビが満を持して挑むR.シュトラウスのコンサート・オペラシリーズ、次回は2023年5月の『エレクトラ』です。
会場 | ミューザ川崎シンフォニーホール
日程 | 2022年11月18日
主催 | 川崎市、ミューザ川崎シンフォニーホール
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「箱根おんがくの森2022」
音楽祭の実行委員長を務める大光嘉理人はヴァイオリニスト。アートディレクターの布施砂丘彦はコントラバス奏者で、批評家としても活躍しています。布施は湯河原町出身で、小田原のジュニアオーケストラで演奏した経験をもち、神奈川県西部にクラシック音楽の文化を根づかせたいと「箱根おんがくの森」を始めました。箱根湖尻アートビレッジをメイン会場に、箱根の自然と歴史がクラシック音楽と重なり合う「箱根おんがくの森」は、隔年開催で、2024年度に第2回の開催を目指しているとのことです。
会場 | 箱根湖㞍アートビレッジ、NARAYA CAFE、
仙石原文化センター
日程 | 2022年8月5日~7日
主催 | 箱根おんがくの森 実行委員会
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