広い舞台と充実した舞台機構を活用し、オペラ、バレエ、オーケストラなどの大型公演を届けてきた大ホール。
さらに、ポップミュージックのコンサート、国内外の演奏家によるリサイタル、合唱や吹奏楽の公演など、幅広く県民に開かれてきました。オペラの自主制作では、他県の公立劇場との共同制作、県域巡回公演などにも取り組んでいます。
ここでは、大ホールが神奈川県域において果たしてきた役割について、神奈川新聞社 元文化部長の丸山孝さんにふりかえっていただきました。合わせて、ホール主催のプログラムを中心に紹介します。
オペラ、バレエやダンス、オーケストラ―。
約2500⼈の観客を魅了するステージが繰り広げられた場所
芸術のまちを育てたホール
新聞社の支局勤めを経験すると、市町村でときおり持ち上がってくるのが文化ホールを造るか、否かというような議論です。「いなかで交響曲を鳴らしてどれだけお客が集まるんだ」。今なら暴言と非難されかねませんが、議員や市民からこんな声が上がったこともあります。ただ、建設費やその後の維持費を考えると無理からぬ本音でしょう。どの自治体も予算が厳しい。それに、ただ設置するだけで地域の文化レベルが高まるわけではないだろう、という意見には共感できます。
ホールができれば芸術のまちが育つのか——。プロやアマチュアの楽団に貸館を行う「ハコモノ」の役割だけでは機能しないでしょう。創造や発信、さらに市民が積極的に運営にかかわってくるような土壌も不可欠と思います。ところがこれらを可能とする大型施設が1975年、音楽や演劇の専用ホール建設ラッシュが始まる80年代より早く横浜に誕生しました。
山下公園を望み、マリンタワーやホテルニューグランドが立ち並ぶ観光名所に現れた神奈川県民ホールを目にして、中学生だった私の心は妙にときめきました。何かが始まるという予感のようなものがあったのかもしれません。巨艦のような建物はなんと前面ガラス張り。当時は、コンクリートで固められた直方体の団地ばかりが各地に目立っていたものですから、とにかく異彩を放ちました。ロビーには赤いカーペット。夕刻になるとその紅色を含んだ光彩が威容を浮かび上がらせて、まるで神殿のようでした。
オペラや交響曲、ポップスも受け入れる2500席近い大ホールは驚きでした。「聴衆との間に響きあい、生まれる音がライブの醍醐味です」。学生時代、グリークラブで指導してくれた指揮者福永陽一郎さんが、こんな風に語ってくれたことがあります。ネットやオーディオがどんなに発展しても聴衆と向かい合う生演奏の魅力は揺るがない。ホールもまた、音楽の重要なパーツということです。そして横浜では、この県民ホールのほかにも室内楽の県立音楽堂、演劇拠点である県立青少年センターがそれぞれすぐれた創作力、企画力を発揮しました。文化の「キング」「クイーン」「ジャック」ともいうべき3拠点が県民の芸術活動を高めたことは疑いありません。市民の合唱団や劇団の数が全国有数を誇るという活況ぶりがその証左です。この環境を子どものころから空気のように享受できたことがいかに幸福だったか、いまさらながらに思います。
93年には神奈川芸術文化財団が生まれ、県民ホールはオペラの自主制作まで手がけるようになりました。團伊玖磨氏、一柳慧氏という日本を代表する作曲家が芸術総監督にあたってくれたことも大きな要因でしょう。「素戔嗚」などの名舞台が神奈川で生まれたのだから誇れることです。
2020年から世界に広まった新型コロナウイルス禍は、芸術活動に大きな衝撃を与えました。人が集まるライブの休止を余儀なくされたことにとどまりません。はたして芸術は「不要不急」なものなのか、厳しい問いも投げかけられたのです。しかし、人は歌をなくしては生きてはいけません。死を目前にした人が、幼いころに覚えた童謡を無意識に口ずさむ姿を私は幾度か目にしました。いかなる過酷な状況下でも人は歌を求めます。音楽は心や命を維持するために欠かせない栄養素と確信します。
半世紀を生きた神奈川県民ホールも老いて、25年春に休館するとのことです。どう生まれ変わるかはわかりませんが、スマホで生活スタイルが激変し、音楽がたやすく手に入る新時代に音楽ホールがどうかかわったらよいのか、ひとつの答えを示してほしいと願います。
(神奈川新聞社 元文化部長 丸山 孝)
オペラ
開館時から、数々のグランドオペラを上演してきました。ベルリン・ドイツ・オペラによるワーグナーの楽劇『ニーベルングの指環』(1987年、全曲日本初演)は、日本のオペラブームを加速させ、その後も国内外からのツアー公演が次々と行われました。1994年にはオペラの自主制作をスタートし、今日にも受け継がれています。
バレエ・舞踊
国内だけでなく海外からも様々なバレエ団が来日し、神奈川県のバレエ文化を盛り上げてきました。
またクラシック・バレエにとどまらず、県内の舞踊団体と協働で開催された現代舞踊公演、コンテンポラリーダンスを取り上げた「コンテンポラリー・アーツ・シリーズ」など、多様な身体表現が展開されています。
オーケストラ
県内にほかの音楽専門ホールができる1990年代頃までは、オーケストラのコンサート会場としての役割も担ってきました。神奈川フィルの定期演奏会は、今でも変わらず県民ホールで開催され続けています。
オペラ・バレエ・オーケストラを同時に楽しめる「ファンタスティック・ガラコンサート」は、毎年多くの観客が訪れる恒例行事となりました。
自主制作オペラの歩み
開館から今日まで、数々のオペラを上演してきた大ホール。1994年からは、作曲家の團伊玖磨を芸術総監督に神奈川芸術文化財団の運営となり、様々な舞台芸術を楽しめる県民のためのホールとして、積極的な自主制作やプロデュース公演などがスタートします。
その最初の取り組みが、同年に始まった「開館20周年記念事業」および「第1回神奈川芸術フェスティバル」で初演された團伊玖磨作曲のオペラ『素戔嗚(すさのお)』の制作です。
その後、一柳慧や、林光、黛敏郎、三善晃などの作曲で日本オペラを次々に展開していきました。
2007年からは、ほかの劇場とともに『アイーダ』や『トゥーランドット』などのグランド・オペラの共同制作を行っています。
2022年には、開館50周年を記念するオペラシリーズを開始。次世代のアーティストを起用したシリーズは平原慎太郎の新演出による『浜辺のアインシュタイン』で幕をあけました。
團伊玖磨作曲/オペラ『素戔嗚』初演(1994年)
一柳慧作曲/オペラ『愛の白夜』3幕5場 世界初演(2006年)