川崎という場所で、
記名的な身体、匿名的な風景を撮ること
貧困、人種差別、ヒップホップ文化……
若者たちの証言から、川崎を多角的に取材した磯部涼さんによる雑誌連載「ルポ川崎」。
写真を担当した細倉真弓さんは、街とそこに集う人をどのように捉えていたのでしょうか。
ご自身の制作も踏まえながらお話しいただきました。
聞き手・文 : 編集部 写真 : 加藤 甫
─連載「ルポ川崎※1」は2015年にスタートし、1年半にわたって様々なコミュニティーに取材しています。被写体とはどのように関係をつくっていったのでしょうか。
基本的には磯部さんが数珠つなぎに取材をして、被写体との関係性をつくっていました。ただ、写真は必ずしも信頼関係がなくても撮れてしまうもので、「友達には撮れない写真」の緊張感をある程度残しておきたかった。特にルポ写真ではそれが誰なのか、どんなバックグラウンドなのかという記号が多い状態でアウトプットされるので、写真を撮る行為によって「その人らしさ」をむしろ差し引く方向にしようと考えていました。
―細倉さんは作品のなかで匿名的なヌードなども多く撮影されていますが、「ルポ川崎」の写真は人や場所が具体的で、かなり違った性質をもっていますね。
当時考えていたのは、テキストの力がとても大きいということです。人以外にも、事件や火事のあった場所を風景として撮ることが多かったのですが、実際は行ってみてもあまり実感が湧かないんですね。でもテキストで説明がつくと、それが禍まがまが々しい場所に見えたりする。写真がテキストに引っ張られて、必ず意味が生まれてしまうというか、実用的な役割をもつことに気づきました。それがこれまでの制作とは違って面白かったのですが、一方でまだ決着のついていない部分もあります。
—パーティーやスケートボードなど、街の様々な使い方によって文化が生まれる様子も印象的でした。
例えば駅前の往来の多い通路が、終電後にスケートパークのようになるのはとても面白かったです。でもその光景を見たことのない人もいて、同じ街なのにそれぞれの生活のレイヤーが交わらない。生活圏が違う人を「知らない」と言って排除し、存在しないことにしてしまうのには疑問を感じます。今は川崎に限らず、管理され、使い方が限定されすぎている場所が多いですよね。同じ場所が違う役割をもって、異なるレイヤーの人が共存できるような距離感が必要ではないかと考えています。
※1
雑誌『サイゾー』で連載され、2017年に同名で書籍化(サイゾー)。BADHOPをはじめとする地元ラッパーやスケーター、ヘイトデモに抗う若者の証言を収めている。
細倉真弓(ほそくら・まゆみ)
1979年生まれ、東京/京都在住。
触覚的な視覚を軸に、移り変わっていく境界線を写真と映像で扱う。
主な個展に「Sen to Me」(TSCA、2021年)、「NEW SKIN |あたらしい肌」(mumei、2019年)。
主な写真集に『NEW SKIN』(MACK、2020年)、『Jubilee』(artbeat publishers、2017年)など。