登場する場所…甘縄神明神社 (鎌倉市・長谷)
風の音か、海の音か、耳鳴りかと、信吾は冷静に考えたつもりだったが、
そんな音などしなかったのではないかと思われた。
しかし確かに山の音は聞えていた。
魔が通りかかって山を鳴らして行ったかのようであった。
―『山の音』(p11)から
観光客でにぎわう江ノ島電鉄・長谷駅から徒歩5分。甘縄神明神社は、鎌倉最古の神社として知られます。高台にある社殿は、神輿ヶ嶽と呼ばれる裏山に抱かれ、眼下には由比ガ浜の眺望が広がります。川端康成は、この神社の傍らにある邸宅で、1946年から1972年に亡くなるまで暮らしていました。
『山の音』の主人公・尾形信吾(62歳)は、夏の深夜、地鳴りのような〈山の音〉を聴き、死期を告知されたような恐怖を感じます。音は裏山から響いてくるのですが、尾形邸の立地には実際の川端邸の様子が反映されています。信吾は妻と息子夫婦の4人暮らし。復員軍人である息子は、荒んだ心を抱え、外に愛人をつくっています。息子の妻・菊子に惹かれる信吾は、彼女に同情し、菊子もまた信吾のいたわりに救われている―。そこに他家へ嫁いでいた娘が、二人の子どもを連れて戻ってきます。忍び寄る老いの気配とともに、家庭には様々な波風が立ち、川端の筆は、現代の認知症やPTSD、子どもの愛着障害といった多くの問題を浮き彫りにしています。
移りゆく鎌倉の四季のなかで、崩壊の危機に瀕した一家の時間がゆるやかに流れていく。風光明媚な古都を舞台に生まれた名作です。
(県立神奈川近代文学館 浅野千保)
川端康成と鎌倉
川端は1935年に鎌倉浄明寺宅間ヶ谷に引っ越して以来、終生鎌倉に暮らしました。1937年には鎌倉二階堂に転居。二階堂の家の持ち主は詩人・蒲原有明(かんばらありあけ)で、終戦直後、静岡から引き揚げてきた蒲原家と同居することになったため、1年かけて家を探し、1946年10月に長谷の家へと移りました。大正年間に建てられた歴史ある建物で、背景に『山の音』に描かれた裏山を望み、川端の没後50年※1となる現在も変わらぬたたずまいを残しています。
※1
横浜・県立神奈川近代文学館で、「没後50年川端康成展 虹をつむぐ人」を開催。『山の音』原稿ほか、貴重な資料が展示される。
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