登場する場所…紅葉坂 (横浜市・西区)
両側に桜並木のずっとならんだ紅葉坂(もみじざか)は急勾配(きゅうこうばい)をなして海岸の方に傾いている、
そこを倉地の紺羅紗(こんらしゃ)の姿が勢(いきおい)よく歩いて行くのが見えた。
半分がた散り尽した桜の葉は真紅(しんく)に紅葉して、
軒並みに掲げられた日章旗が、
風のない空気の中に鮮やかに列(なら)んでいた。
―『或る女』(p288)から
1878年に生まれ、明治・大正に活躍した小説家の有島武郎。そのリアリズム文学の代表作として知られる『或る女』は、女性の社会的地位が確立されていなかった明治時代を生きる、一人の女性の半生を描いた作品です。主人公の早月葉子は、その才覚を発揮できず、女性としての自立を望みながらも、自身の内に潜む娼婦性に身を滅ぼしてしまいます。有島は、やがて悲劇的な末路を迎える葉子の姿を生々しく描きました。
小説の冒頭、葉子はアメリカ行きの船の切符を買うため横浜へ向かいます。葉子の乗る汽車が横浜停車場(現在のJR桜木町駅)に近づく頃に見えてきたのが、太陽の光に照らされた紅葉坂の桜並木でした。明治期、伊勢山皇大神宮が鎮座してからの紅葉坂は、丘一帯に桜が移植され、桜の名所となったそうです。
紅葉坂は有島自身にとっても縁の深い場所でした。幼少期に父・武が横浜税関長に就任したことで、一家で税関官舎に移り住みますが、この税関官舎があったのが紅葉坂を上り詰めた先にある月岡町(現在の西区老松町)だったのです。
『或る女』の作中に、葉子が紅葉坂の旅館から坂を見下ろす場面があります。葉子の眼に映る紅葉坂と、その小高い坂の上から見る海岸や船が停泊した港は、有島の記憶に残る横浜の風景と重なっているのではないでしょうか。
(神奈川県立図書館 村田香奈子)
神奈川県と紅葉坂エリア
神奈川奉行所のあった紅葉坂エリア(紅葉ケ丘)。戦後復興の際、当時の内山岩太郎知事は「音楽を楽しみ、明日への力を養う場が必要」という信念のもと、県立図書館と音楽堂の併設を計画しました。現在の紅葉ケ丘には、県立図書館、県立音楽堂、県立青少年センターが建てられ、「神奈川県文化センター」として文化芸術の振興に寄与しています。これら3館や隣接する旧神奈川婦人会館は、戦後日本のモダニズム建築を代表する建築家・前川國男氏の設計によるもので、その傑作建築群は圧巻です。
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