詩は言葉で世界をあらわす
イメージを組み立て表現していく
映像メディアを用いて制作するアーティスト、本屋を拠点としたアートコレクティヴの主宰、
そして言語表現では中原中也賞の受賞と、多才な活躍をみせる青柳菜摘さん。
映像作品でのご自身の声による語りや、詩作を中心に、
創作へのモチベーションについてお話を聞きました。
取材・文 : 編集部 写真 : 加藤 甫
─青柳さんの作品の多くに、ご自身が語っている印象が強くあります。
初めての映像作品『孵化日記』(2011年)からです。それまでは絵をネットで発表していましたが、震災を機に状況が一変して、自分は何がつくれるのかと悩み、映像を撮ることならできると考えました。目に見えない放射性物質の影響を強く受ける自然、なかでも虫に興味を抱き、撮影のために山に入りました。
ですが、どこにいるかがわからない。自分と自然との距離があまりに遠いことに気づかされました。しかし映像にはそれが映りません。そこで映像に声をのせることで、カメラに映らなかった自分自身の時間を重ねることにしました。
―過去作では、都市に残る富士塚や、中国の媽祖(まそ)に着目されていますね。
見えないことをどう捉えられるか考えながら、かたちにしていくことに関心があります。中国の女神・媽祖をきっかけに制作した展覧会「亡船記」(2022年)は、移動が依然ままならなかったコロナ禍に構想し、媽祖を通して航海の歴史を現代に問いました。
作品をつくるときは、まず自分が「わからない」と感じる現在の問題について考えます。今の時代に生きる自分が、今をどうやって考えられるのか、作品制作を通して考えたいという使命感みたいなものがありますね。
—映像メディアを用いた表現の言葉と、詩作にはどのような違いがありますか?
映像では声として発した言葉とイメージを合わせて組み立てますが、詩は言葉があって世界をあらわしていきます。言葉がならび、イメージをつくっていくので詩を読むのはとても難しいです。
中原中也賞を受賞した詩集『そだつのをやめる』(2022年)は、以前書いた小説から映像を編集し直すようにつくりました。映像でも詩でも、言葉とイメージの関係性を楽しんで制作しています。
青柳菜摘(あおやぎ・なつみ)
1990年、東京都生まれ。リサーチやフィールドワークを重ねながら、観察、記録、物語をめぐる作者自身の経験を表現することをめざして、その不可能性を記録メディアでいかに表現するかを主題に取り組んでいる。2016年、東京藝術大学大学院映像研究科メディア映像専攻修了。「だつお」というアーティスト名でも活動。
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