日本には、成立した時代が異なる様々な芸能が共存し、現代まで受け継がれています。本誌では「伝統芸能」のなかでも、2008年に「歌舞伎」とともにユネスコの「人類の無形文化遺産」代表一覧表に登録された「人形浄瑠璃文楽」「能楽(能・狂言)」と、「民俗芸能」の視点を取り上げます。いずれも言葉や音楽を用いた表現が人々に親しまれ、現代へと受け継がれてきたものです。神奈川県立青少年センターが主催する「かながわ伝統芸能祭」と、横浜能楽堂での取り組みについて、お話を聞きました。
取材・文 : 編集部
かながわ伝統芸能祭
神奈川県内の小中高生へ向け、芸術文化の「普及・啓発」を目的とした様々なプログラムを実施している「神奈川県立青少年センター(以下、青少年センター)」。主催事業の一つである「かながわ伝統芸能祭」について、舞台芸術プロデューサーの楫屋一之さんにお話を聞きました。
かながわ伝統芸能祭とは?
「青少年センター」は舞台芸術の公演だけでなく、中高生のための演劇・ダンスのワークショップや、不登校の子どもたちに向けたアウトリーチなど、幅広いプログラムに取り組んでいる施設です。前川國男建築としても知られ、紅葉ケ丘エリアの文化拠点の一つとして県民に親しまれてきました。
この場所で、約60年前からかたちを変えて続いているのが「かながわ伝統芸能祭」です。現在は①歌舞伎鑑賞教室、②人形浄瑠璃文楽、③こども歳時記という3つのプログラムを展開しています。
歌舞伎鑑賞教室と人形浄瑠璃文楽の公演は、大勢の観客を集める人気のプログラム。いずれも特徴は、上演の前に、出演者があらすじや見どころをわかりやすく説明する15分程度の解説が入ること。普及・啓発を目的とする青少年センターならではの取り組みです。2023年10月の人形浄瑠璃文楽の公演では開演前に、舞台に登場する人形と一緒に記念撮影できる時間も設けられ、うれしそうに撮影の列に並ぶ子どもたちの様子が印象に残りました。
人形浄瑠璃文楽の魅力
「太夫(たゆう)」と呼ばれる物語の語り手と、「三味線」の旋律、そして「人形遣い」が操る人形によって表現される「人形浄瑠璃」。なかでも文楽座の座員によって演じられ、3人の人形遣いが一つの人形を操る「人形浄瑠璃文楽」は、世界的にも高い芸術性が認められています。3人で一つの人形を動かすことで、人間の歩く・立つ・座るといった関節の細やかな動きを表現することができ、まるで人形が生きているかのように見えます。
歌舞伎は、今から400年以上前の江戸時代に、出雲(いずも)の阿国(おくに)という女性が始めた「かぶき踊り」が発祥といわれていますが、楫屋さんは人形浄瑠璃の起源について「諸説ありますが、今から1000年以上前にさかのぼる平安時代に、平家の落人(おちうど)が、手慰みのようにして人形をつくり動かしたことが始まりだともいわれています。つまり“見世物”として生まれたわけではなく、生活の中から発生したものだった。それが人々に知られるようになり、かたちを変えて発展していったのではないでしょうか」と話してくれました。
歌舞伎や人形浄瑠璃文楽の公演には一定の観客がついてはいるものの、その高齢化が課題になっていると楫屋さんは指摘します。「実は神奈川県は、もともと三人遣いの人形芝居が根づいていた地域で、『相模人形芝居』という独自の表現も残っています。こういった『民俗芸能』を“伝統”の枠から解き放ち、今に息づくものとして、子どもたちの世代へ伝えていくアプローチが必要だと私たちは考えています」。
遊びの中で出会う伝統文化——「かながわ伝統文化こども歳時記」
かながわ伝統芸能祭の中に、3年前から新たなプログラムとして再編されたのが「かながわ伝統文化こども歳時記(以下、こども歳時記)」です。今年度も2024年2月に、青少年センターで開催しました。「こども歳時記」では、神奈川県各地域の芸能の上演や、日本舞踊・講談のワークショップに加え、子どもたちが遊びながら伝統文化に触れるプログラムがあることが特徴です。郷土玩具の「片瀬こま」の体験や、年中行事のワークショップ。こういった地域に息づいてきた伝統文化に、子どもたちが楽しみながら出会える場となっています。
「こども歳時記」では毎年、神奈川における盆踊りのルーツの一つといわれる「相模のささら踊り」の紹介を行っています。さらにこのプログラムでは、振付家・ダンサーのスズキ拓朗さんによる新たな振付・演出による『SASARA』も発表。3回目となった今年度は、その集大成の年になりました。ささら踊りは、嫁入り前の女性の踊りで、郷土の誇りや生活の喜びが歌われます。こういった民俗芸能の中における歌や、日本の民謡における“地域自慢”のような歌詞は、どこかラップの表現に通じるものも感じます。
芸能を、生活の中に戻したい
地域に根づいてきた芸能は、その土地で上演することが、本来あるべき姿ではないかと楫屋さんは話します。
「芸能は、村落などの共同体が、それを維持していくための“祭り”のようなものとして発展した側面もあります。みんなが共有できる“物語”があることで、コミュニティーが守られていくわけです。そういう点でも、芸能は生活と一体のものでした。
それが近代以降、舞台芸術は観客を劇場に呼び込んで上演することが、一般的なかたちになりました。“伝統”という言葉がついていることで、保存しなければならないイメージのある芸能を、もっと今の生活の中に戻していかなければなりません。神奈川は民俗芸能の宝庫です。『こども歳時記』のように体験や遊びの中で、その魅力を子どもたちの世代に伝えていきたいですね」
横浜能楽堂
企画性の高い能楽(能・狂言)などの上演や、海外とのコラボレーション、また小中学生向けの狂言ワークショップなど、古典芸能を多角的に今に受け継いできた「横浜能楽堂」。能・狂言の魅力や音楽性について、プロデューサーの大瀧誠之さんにお話を聞きました。
日本の伝統的な“ミュージカル”と呼ばれる能
横浜能楽堂芸術監督の中村雅之さんは、著書※1で「能は、音楽(囃子〈はやし〉)・歌(謡〈うたい〉)、ダンス(舞〈まい〉)が一体となり物語が進行する、という点においては『日本の伝統的なミュージカル』と言っても良いかもしれない」と語っています。
また、音楽・歌・ダンスの要素以外にも、多彩な魅力が能にはあります。能の曲は、『源氏物語』などの古典文学や和歌、神道・仏教など様々な要素が取り込まれてつくられており、文芸作品としても味わい深いものとなっています。さらに、無表情のようでいて様々な感情を表す能面や、多彩な色や文様で表現された装束の華やかさもあり、能は視覚的にも秀でた古典芸能といえます。
そんな能が「ミュージカル」と称されるゆえんについて、大瀧さんにお聞きしました。「例えば歌舞伎にも長唄、義太夫といった歌の要素はありますが、基本的に役者は歌いません。一方で能は、役者の謡により場面の状況や心情が説明され、舞台進行に大きく関わってきます。そのため、ほかの芸能と比べても、よりミュージカル的と言えるのではないでしょうか」。
能・狂言はセットで上演されることが多く、この組み合わせは「番組」と呼ばれています。また能も狂言も演目を数えるときの単位が「曲」である点にも、音楽性が感じられます。
内容の“理解”ではなく、舞台を楽しんでほしい
大規模改修(天井の耐震化など)に伴い、2024年1月から2年半の休館に入った横浜能楽堂。2023年度は、開館から27年間の“総集編”として、「中締め」特別公演を5回シリーズで上演しました。なかでも11月26日の「お水取りの能」は、照明を落とし、蝋燭(ろうそく)の灯りによる上演や、東大寺の声明(しょうみょう)を2階から響かせるなど、芸術的な演出で観客を魅了。大瀧さんは、曲の世界観をよりリアルに感じて楽しんでいただけたと話します。
「お客さまの声として、台本を知りたいという方も一定数いらっしゃいます。横浜能楽堂では、以前はパンフレットに台本をすべて載せていましたが、そうするとどうしても言葉を追ってしまい舞台を見てもらえません。もちろん謡の内容がわかれば理解は深まります。でも、お囃子の音の迫力や、謡の繊細な響き、舞や能面といった視覚的な要素など、内容がすべてわからなくても楽しめるポイントはたくさんあります。まずは難しいことは考えずに舞台を見てもらい、興味をもっていただいたら、より深く内容を調べていただければうれしいですね」
「OTABISHO※2横浜能楽堂」
ランドマークプラザにオープン!2024年4月より
横浜能楽堂は大規模改修中の新たな試みとして、能・狂言を紹介するスペースをオープンします。能面や装束、楽器などの展示や、講座・ワークショップの開催など、能・狂言を身近に感じてもらうプログラムを展開していきます。観客層の高齢化もあり、休館中でもより若い世代に魅力を伝えていきたいという思いから、全国的にも珍しい商業施設内の“能・狂言の普及スペース”が誕生しました。ランドマークプラザにお越しの際には、ぜひお立ち寄りください。
※1
『これで眠くならない!能の名曲60選』(誠文堂新光社、2017年)、p.6「能とは何か」
※2
「OTABISHO」とは漢字で「御旅所」と書き、祭礼で神社から神様が巡行した際に仮に鎮座される場所を表す